2022-0328-0403




とのことです。意外。しょうもないブログですがこれからもなにとぞ。


 透明な理解は神への一歩です。ぼくが本を読む理由はこの神学に集約されるように思います。


 最近考えている国語の問題に関連して言語哲学をより知りたくなってきたのですが、ぼくはどこへ向かっているのでしょうか。『言語哲学大全』を読むべきですね。


 日記の形式をどうしようか悩んでいます。今のような「週記+雑文」スタイルを日記と呼ぶのは不適切な気がしますし、一日の振り返りをつけることを習慣づけたいです。一方でこういう書き散らしができないとぼくが面白くないです(?)。
 ちなみに今日(0402)はお昼に知人とイタリアンへ行きました。ウニのクリームパスタを大盛りで頼んだのですが、この大盛りが+200円でほぼ倍になって出てくるというかなりのボリュームで、ご存知の通り食の細いぼくにはかなりキツかったです。美味しかったので満足感は高いのですが、QoLの観点から言うと普通盛りの方が正しそうです。その後は満腹を抱えて中学生に数学を教えていました。あまり上手くできなかったです(基本的な計算すぎて、上手く言語化して伝えられなかったように思います)。数学科の人と最近の勉強とか大学院のこととか中学生の抽象的な思考能力とかについて話しながら帰ってきて、今23時くらいに日記を書いています。
 ぼくはスマホタブレットの両方ではてなブログを使っているのですが、今日(0403)起動したら昨日スマホで書いた分がまるごと消失していました。悲しい。なので当日書いた体で内容を復元したりしています。ちなみに今日は本屋に行って『平面代数曲線』を買う予定だったのですが、大雨が降っていたので特に出かけずに家で勉強してました。北村一真先生の単語帳が楽しみなのでその前にパス単の2級, 準1級を詰めています。英語は大事だという認識を新たにしたので頑張ります。夕飯は焼き鳥を食べました。R.I.P.鳥。明日もお昼に出かけて流れでバイトなので早く寝たほうが良いのですが今だいたい2時です。


 最近

実数$x,y,z>0$に対し
$$\frac{x}{\sqrt{x+y}}+ \frac{y}{\sqrt{y+z}} + \frac{z}{\sqrt{z+x}} \leq k\sqrt{x+y+z}$$
を満たすような最小の実数$k$を求めよ.
(不等式bot問題150番)

という問題を考えています。定数倍の変換$(x,y,z)\to (tx,ty,tz)$で不変なので、$f(x,y,z)=\sum_{\text{cyc}}\frac{x}{\sqrt{x+y}}$の$T=\{(x,y,z)|x+y+z=1,x>0,y>0,z>0\}$上での最大値を出せばいいかなと思いました。こっからが問題で、未定乗数法みたいにやると極値の候補が$\sqrt{3}/\sqrt{2}$になる($x=y=z=1/3$)のですが、$T$のかたち的にこれは最大値ではないです。例えば$(x,y,z)\to(3/4,1/4,0)$と動かすと$f\to 5/4$です。これは$z$を小さくしていった場合の最大値で($t-1+\sqrt{t}$の最大値を考える)、$\sqrt{3}/\sqrt{2}$より大きいです。ということで方針を
$$\frac{x}{\sqrt{x+y}}+ \frac{y}{\sqrt{y+z}} + \frac{z}{\sqrt{z+x}} \leq \frac{5}{4}\sqrt{x+y+z}$$
に変えてみたのですが、これも示せないです。こっちは成り立つと思うのですが……。
 この日記を読んだ方の知恵を貸していただけると嬉しいです。


 同性愛的な意味ではなく*1、ぼくには「女性として、背の高い女性にめちゃくちゃにされたい」という感情があるのですがあまり理解してもらえません。どれくらい昔からあるかハッキリとは思い出せませんが、少なくとも小学校高学年には(その時期に明示的に性を知っていたわけではありませんが)この方向性の感情があったと思います。女体化レズという二度手間ですが、こうとしか表現できないので仕方ありません。
 そもそもぼくは保育園くらいの頃から「美少女戦士セーラームーン」や「ふたりはプリキュア」といったアニメが好きで、特に敵の触手などに苦しめられるシーンを自己投影的に鑑賞するなど、今思うとちょっとばかりおかしい楽しみ方をしていました。親族に女性が多くぼくが最年少だった(近い親戚筋に絞っても、男4に女9で、ぼくは最小でも5は歳が離れていました)ため、あまり男性文化に触れない幼少期だったせいもあるかもしれません。ただ、ぼくの中には言語化されないけれども「女性になり、その上で自分より優位な女性に従いたい」という思想がずっと育っていました。
 これは何のカミングアウトなんでしょう? ぼくもよくわからない。


 池田岳『線形代数と表現論 線形代数続論』を買いました。5章から表現論で、4章まではある程度知っていましたがここから完全に知らない内容でした。例が多くて読みやすい印象があります。表現論って自分の興味とどう関わるのかな〜と思ってネットサーフィンしたところ、Galois表現というのがそれにあたるようです。


 ぼくは他人とのコミュニケーションが本当に苦手で、日々「苦手だなあ」という認識を新たにする作業に従事しています。こんなことを言うとなぜ塾講師なんてできているのかと言われるのですが、マジで結構死にそうな思いで他人とコミュニケーションを取っています(全然理解してもらえない)し、実際のところ塾講師はできていないです。カスすぎる。それでもこのバイトを選んでいるのは、コミュニケーション以外の認知負荷が少ないからです。ちょっと難しいのですが、死にそうなほど苦手なコミュニケーションも「全てが苦手なバイト」に比べれば相対的にマシなのです。ここでは不適合者の消去法が動いています。
 バイトのモチベのことを最近知人と話したのですが、ぼくは他人に数学【resp.英語, 理科, 倫理】を好きになってもらおうみたいな感情はないんですよね。むしろ「この程度のことに人生を阻害されないでほしい」という感情が強いです。困んなきゃいいんですよ別に。適応に問題がなければ障害として見なくていいのと同じです。
 塾講をしていて思うのは、優秀な生徒の親は優秀オーラがあるんですよね。会話を見ててもレスポンスの速さとか理解の正確さとか推論の広さとかで大体保護者の生育が見えてきて、そう言う親の子供は大概が成績が良い方に属してます。別に生徒の努力次第で乗り越えられるレベルの差ですけど、スタートラインに結構な差があるなあと思います。生まれがどうこうってより、塾という外部機関が無ければそういう格差の是正が絶望的に難しい学校制度そのものに対する絶望感がある。まあ塾に来ているだけで上澄みなんですけど。こういう構造を意識できない、学力を自分の知能の反映だと思ってるガキに勉強を教えるという欺瞞を受け入れている自分が嫌すぎて定期的に辞めたくなります。誰が悪いというわけでもないのですが。


 動物や赤ちゃんの行為を撮影した動画に他人がナレーションをつけるグロテスクな番組は、いわゆる「定型発達障害」によって受容されているんだなと思いました。定型発達は存在しない意図や文脈を過剰に読んで勝手に誤読が爆発するのでぼくは定型発達障害と呼んでいます。どう見ても動物が嫌がっている動画にすらナレーションを当てているのを見ると、存在しない物語の枠で解釈したがるんだなあと思います。発達障害が特性として学問に向いてるのはこういうのがプラスに働くからなんでしょうね。賢いと俯瞰で超越的な視座に立てるのでその辺の定型発達より上手くいきそうです。
 かつては血を厳選してオールラウンドにするガキ育成が流行りでしたが、最近は発達に偏りを持たせつつ特性を特性で相互にカバーするような発達ガキの方が上手く育ちそうです。なんか現代ベイブレードで片重心の楕円形・重量系が強くなったのと似てますね。医学部はちゃんと代々の血を継いで発達の素因を減らしたほうがハマるとは思いますが。


 塾という場所には、保護者からのお菓子がよく集まります。こういうのはつまり塾に対して「ちゃんと結果を出せ」とプレッシャーをかけているのだが*2、ぼくは基本これに手をつけないようにしている*3。なのだけど、今日はアンリ・シャルパンティエのフィナンシェがあったので珍しく手をつけた。
 フィナンシェで一番美味しいのはアンリ・シャルパンティエのものである。「アンリ」がアンリ・カルタンを連想させるのか、数学系の人間には「アンリ・シャルパンティエが一番おいしい」ことになぜかよく同意してもらえる。ちなみに次点でおいしいのはバターバトラーのものである。ただ、特徴で言えばアンリ・シャルパンティエ手塚国光、バターバトラーは越前リョーマなので、どっちが好きかに完全な正解は無いと言える。バターが好きならバターバトラーの方がおいしい。
 女性への贈り物はよくこれを選んでる。フィナンシェはハズレがないし、値段も手頃なので便利。ほかにもいくつかおいしい洋菓子の店を調べていて、贈答品ローテを組んでいる(悩まなくていいので楽。人間関係のメンテはなるべく自動化しよう!)
 ちなみにマカロンは神戸のグラモウディーズが一番おいしいと思う。地元の天才ケーキ屋のやつもおいしいが、スペシャリストには勝てない。また食べたいなあ。

*1:こういう但し書きはLGBTQ+的人間関係観が浸透したら解体される、あるいは不適切とみなされるのでしょうか。ただぼくの少ない語彙では現状これ以上に最適な表現がわかりません

*2:贈与論の枠組みで理解できないだろうか?

*3:特に理由は無い