20221210

 なんか昨日ウイスキーかっくらって眠くなってきたらベルトをぶら下げて首吊って寝た 昼過ぎに起きたら下げてた場所が折れてるし顔打ってたし最悪 おまけにスマホSIMカードを認識しなくなってた わけわからん
 なんかもう全然頭働いてなかったし昨日マジで急に死みたいな感情になったのでもうだめでした 助けてください
 頭終わってんのに授業後に地学の質問されてさらに終わった 金星の満ち欠けの問題で、まあなんか金星って近付くほど痩せて見えるよねみたいなやつ 天体はなんか結構説明が難しくて、金星が太陽の光を反射して見えている(ので見え方は地球—金星—太陽の位置関係に依る)こと、金星は地球と太陽の間でより早い公転周期で回っていること、などが頭で理解できても見え方のイメージが難しい 内合(地—金—太で並ぶ)のときに金星が見えなくなることは分かってもほかのときにどう見えるかというのがなかなか難しい
 これは天体の(天球上の)みかけの運動も同じで、空の露光写真とか見たことあるオタクだと天体の軌跡が円みたいな軌道になる(北極星の周りでは反時計回りする)ことがわりとすんなり理解できるんだけど、逆にそういうの見てなくて問題解こうとすると結構むずい 天体分野は好奇心がアドになるんすよね
 授業では三平方の応用をやった なんか計算するときに比で三平方してから戻すとか公約数で割っといて戻すとかいろいろ意識せずに使ってる計算の簡略が無数にあってそういうの教えるよりやってる最中に見つけていくものだと思ってたので最近いちいち言語化するはめになりつらい
 岩倉文也・焦茶『あの夏ぼくは天使を見た』は、なんというか現状の岩倉文也の中で最もいいような気がする ぼくはもっと落ち着いて、普通に岩倉文也の詩や短歌を読んでいたいのに、出版社の持ち上げ方が絶妙にだめで、好きでない 最初は天使の偶像を美少女にするな! みたいな気持ちだったんだけど、むしろあらゆるもの、世界を満たすこの『何か』の代名詞としての天使であり、美少女もそのひとつに解体される その切断としての詩画 というのが見え、ニンマリとした
 ぼくは正直なところ詩はよくわからず(前にも書いた気がする)、短歌の方が切れ味があっていい くらいのことを思っていて、でも岩倉文也の詩はすきだ 短歌的というか、短歌の主題をより膨らませたような感じがある なんやそのふわっとした感想
 岩倉文也の短歌は私的なことからぐっと視線を俯瞰させるそういう力のあるものがあってこれがいい ぼくはなんかでかいことを言ってる短歌があんまり好きじゃなくてそれは小さな箱に無理に詰めているような違和感がある というのは作り始めのときにそういうでかくしすぎてうまく畳めない歌を作りがちだからなんだけど、たとえば

さらさらと硝子のかけらふる街の/どうしてぼくにこころはあるの

は結構でかくて

ほんとうはだあれも好きじゃないことの/きらきらと陽に透かす手のひら

は主観の動きにメリハリがあり、すごくいい

そこだけが冷たい自室しあわせはぼくの頭をこわしてしまう

なんかは極みです
 要は無限性を31字の中で皮膚感覚の世界まで落とせるか、無限性と自分の半径5センチの世界を往復できるようなものにできるのかみたいなのが短歌の個人的な問題意識で、ここに選んだ以外にもそういう歌が非常に多くためになる
 これはガキの欲求で、つまり逃避・退廃 そういった感覚を感覚のままに勝手な無限性にぶつけて昇華したいていう衝動で 青臭い 半径5センチだけが世界じゃないだろてのは織り込み済みで、半径5センチが世界の全てになる感覚が記述される
31文字で全部を逆転できる そういう力
 なんか死にたくなって鬼ころしを飲みながら川にいった コスプレ女がいて、野球場の横の観客席? みたいなところに座って話した 手帳を一枚破いて短歌をあげたらしいのは覚えてるけどどんなのを書いたか忘れた ほろ酔いでものを書くなよ
海 海見たい 高校生の時の逃避先が決まって海で、精神が高校からずっと育ってないのでずっと海に行きたい
 なんかもうほんとうにだめです
 『周期と実数の0-認識問題』という本があって、中身はほとんどわからないんですが「なんか面白そう」とかのふわっとした感覚を超えて現代代数幾何を勉強するモチベを与えてくれるすごい本があります 後半とかほとんど何言ってんだかわかんないです
 数学もここ最近ずっと停滞してます ずっと天井見てたら一日終わり感情も終わりて日が多くてまじで手につかないです
 カス
 それっぽい本を読んでそれっぽい感じをしていたらそれっぽい感じの全身FAKEになってしまった でもそれっぽくしようと頑張れていた時期があるのは貴重なのかもしれない
 全然オチがつかない もうおわりでいいですか?