二月二十日

 20200220である。だからなんだという話だ。

 今日はそれなりに有意義だっただろう。対象に意義があると言えるのはどんな時かと考えると、少なくともそんな益体のないことを考えている時間に意義は無いと言える。
 具体的には英語と地学の勉強をした。地学は先日買った『ひとりで学べる地学』(果たして大人数で学ぶ科学があるのだろうか? 理解とは常に個人のものだ)で速習しながら適宜『地球惑星科学入門』に当たって知識を補充している。余談だがフランス国土地理院の物理、数学、地学にもたらした功績は素晴らしいものがあるんじゃないだろうか。もう少し科学史の中で讃えられても良い気がする。


 大学に入ったらぼっち飯ちゃんとできるのか不安だ。大学は小中高のようなファッキンホームルームがない点で文明的進歩を遂げておりさすがは高等教育機関だという感があるのだが、その点あまりぼっち飯できる空間も想定できない。好きな人以外と学校でご飯を食べる感覚がいまいち分からない。ラーメン屋とスイーツ店なら大歓迎なのだが。
 でもまあ「酒飲めればOK!!!!」のノリの頭ストロング系アルコール人間になれば問題なさそう。大問題だろ。


 人を好きになるということを考えるときにどうしてもフレームとして村上春樹的、藤原基央的な視点が入ってしまう。ぼくらは気付かないうちに互いが互いを埋め合わせるような100パーセントの運命とすれ違っていて、けれども互いがそれと分かるのは難しい。そういうスタート地点から入ってしまう。
 落とし穴の中の幸福については『いたいのいたいの、とんでゆけ』をまず参考文献として読んでいただいた上で話したいのだが、ああいうのはある種「心が動かされないならそれはそれで幸せ」という類の本で、ぼくもそういう自分の耳元をくすぐるような小説を書きたいなと思う。思うのだがぼくよりよほど上手く書いてしまう人が世の中にはいるので悲しい。

 んー書くこと〜〜〜。ねえ。この辺にするかぁ。最後の段落で書いたことはツイッターで言ってたことの焼き直し&まとめみたいなものなんですがもうちょい綺麗に整理できたらもっかい書こうと思います。おやすみ〜。