六月二十日

 日記書くぞウオオ。
 帰り道に本屋へ向かいながら日記に書けそうなネタが思い付いた(気がする)のだが、帰ってくるまでに完全に忘却してしまった。メモはしっかりとろう!

 お絵描きってやつ、インターネットやめる代わりに始めようかと思う。絵を描いて数学してだと外に出る機会がなさすぎて良くないように思うが、そこはカメラを始めることでカバーしたい。お絵描きとカメラなら上手く相互作用してくれそうだし。 運動をしろ。
 お絵描きついでだが、『建築知識』2021 年 6 月号は背景作画に興味があれば絶対に持っておく方がいい。とてもためになる。
 本屋をブラブラしていたら『ソッカの美術解剖学ノート』という 7370 円のめちゃくちゃ分厚い本が大量に陳列されていたのだが、あれは売れるんだろうか。良い本であることは確かっぽいのだけど普通に手を出すハードルが高い気がする。出版社も結構強気だな、と思った。

 最近、野矢茂樹『語りえぬものを語る』を読み始めたのだが、やっぱり自分は「世界の切り出し方」に興味の主軸があると強く感じる。ぼくは〈今〉や〈私〉といった哲学的主題にはあまり興味がないのだ。「私が今存在すること」や「私が他でもないこの私であること」といったことは、ぼくにとって重大な問題ではない、というよりアプローチの手法が違うように思える。おこがましい言い方をすれば、ある意味で"自然科学的"な方向へ向いているのだ。

 先々月くらいに複素解析のド基礎を勉強したのでこの感覚を忘れないうちに本格的に複素解析や多変数複素解析、複素代数幾何の方に進みたいと思っていたのだが、他にやりたいことがあって先延ばしにしてしまった。のでスタイン - シャカルチ『複素解析』を中心にその辺を来月に詰めていこうと思う。

 今回書こうと思った話を完全に忘れちゃったので面白みに欠けるな。なんだろう。なんか書く。
 最近思ったのは、自分の中でいろいろな事柄に対する対応方法が狭義の「勉強」しか無いの実はめちゃくちゃ損なのでは? という風に思った。(フレイザーと肩を並べるつもりは全く無いが)自分は少し安楽椅子型の人間で、フィールドワークに不向きで本を読み散らかすのが好きなのだが、人生経験という意味では外に出て得るものというのを大事にするべきかもしれない(「書を捨てよ、町へ出よう」!)。外の世界にもう少し興味を持っていこうかな、と思います。自分の幼さをどうにかしたいという意味でも。
 と言いつつこの日記、実は段落全てに一冊は何かしらの本が登場していることに気付いた。やっぱ無理かもしれん。