十一月二十一日

 あいも変わらずわたしの日常は空虚であるのに、それを取り巻く世界は目まぐるしい速度で季節の針を進めるのだなぁ。それでも、空虚な日常も島村卯月さんの笑顔で瞬く間に卯月色に染まるのだから、もはや心は一年通して卯月である。

 「それでも」という言葉が好きで、僕は自分の創作の中でも、僕を相手に選ぶ理由が分からない人生相談の場でもなんでも、「それでも」という言葉を使いがちです。何に影響されたんでしょう。一つには『半分の月がのぼる空』があるのでしょうか(あるといいな)。
 自論ですが、この言葉はそこに至るまでにどれだけの「けれども」を飲み込んできたかで価値が変わるような気がします。「残された時間は短いかもしれないけれども、いつ終わるか分からないけれども、それでも……」のように。 僕は不平等が奇跡的な助けや天からの恵みで解決されるのが非常に嫌いで、それこそ「醜いあひるを醜いあひるのまま幸福にしてみせろ」という思いになってしまう。それはある人には妥協や諦めに映るかもしれないけれども、そういう「けれども」の濾過を通して出てきた「それでも」という気持ちはすごく愛おしいと思います。
 こういう自分の感情、多分歳とると失ってしまうし早めに死にたいね。

 そういえばついこの間デレステコードギアスコラボで「Revive」をNew Generationsが歌っていました。コードギアスの曲はマジで拡大解釈の余地があってズルいんだよなぁ。あと総じて名曲。O2カッコイイ。

 18年間、毎年季節の移ろいを経験しているくせに夏は誰かとの記念日を待つような気持ちになって秋は夏の終わり方と冬の立ち上がりを楽しんで冬は終わり行くものへの感傷に浸れ、春はまた何かが変わるかのような無根拠な期待に胸を膨らませるのだから、人間の脳は程よくバカにできてて神様分かってるなぁと思います。

 どうせ死ぬ、人生はつらい、かくも息苦しい! そういうもはや手垢に塗れた感想をひとしきり言い合ったあとに、それでも笑って話せるような知り合いが欲しいが、そんな人間とシラフで会ったら爆笑ものだと思う。

積読をやたらにしてしまうのだけど、いざというときに読めないことの方がストレスなので僕は買ってしまうことをおすすめしています。買うのが気持ちいいみたいな見識に批判的になりました。積読はいいものなんだぞ!(本当か?)

 最後に話に出した『半分の月がのぼる空』の宣伝をして終わりたいんですけど、今読み返してみてもやっぱり「こんな本を書きたい」という気持ちの原型のように感じる大好きな作品です。読んでね。お姉さんとの約束。