2022-07-05,06

ぼくの事なんかひとつも知らないくせに
ぼくの事なんか明日は忘れるくせに
そのひとことが温かかった
ぼくの事なんかひとつも知らないくせに
BUMP OF CHICKEN「ベル」)



 メルカリで『英語の読み方・味わい方』を買った。良い本と聞いていたけど絶版で、偶然安かったので即決した。
 この本の第一部は上田勤の英文解釈本から取られているのだが、まえがきで「内容があまりにもまともであるがゆえか、絶版になってしまった」というようなことが書いてあり、それを惜しんで再録したこの本まで絶版にする人間、過ちを繰り返しすぎでは……となった。
 こんな本を買っているが、先月にも安井稔『納得のゆく英文解釈』を買って積んでいるのでそちらも読まないといけない。嗚呼、計画性!


 政治学の講義に出るだけ出て、ヴェイユの『重力と恩寵』を読み進める。重力が下降であり、低劣さは重力の一現象であるというのは分かるが、なぜ上昇運動である恩寵が「下降運動からなる法則」なのかよく分からない。恩寵は真空(ここではラフに「虚しさ」ととって差し支えない)を満たすものとされている。ヴェイユの言う重力とは人間を神から引き剥がし俗世へと結びつける概念だから、恩寵の作用は下降現象に対するものとしてしか現れず、この意味で「下降運動からなる法則」なのかもしれない、ととりあえず解釈しておいた。恩寵の二乗としての下降運動とは、おそらく重力と無関係に自由を得る(=信仰!)ということだろう。
 というところまで考えていたらペアワークが始まってしまったのでサクサク終わらせておいた。



 言語学の講義に出るだけ出て『カラー図解アメリカ版新・大学生物学の教科書 第1巻細胞生物学』を読み進める。書名が長い、書くだけで腱鞘炎になる。
 第1章が素晴らしく、それだけで買ってよかったと思った。図は本当に綺麗で楽しい。言語優位だと思ってたけど案外視覚優位なのかもしれない。
 海外の本はコラムや挿入される練習問題が面白い。教育的配慮のセンス抜群。
 言語学の方は既知の話がずっとなされている。名詞によって共起する動詞に制限があるというのはある程度わかるんだけど文学は容易くそれを超越してしまうところがあるよなと思った(「彼女を覆う退屈が溜息をついた」など)。「猫を吸う」とかもそうだけど、名詞のタイプがメタファー的な使用も含めどれだけ規定するかってのはかなり難しい問題だと思う(一応付言すると、これらの表現を話者が受容する以上、標準的な使用でないからと省くのは正当な態度ではない)。まあ本読みながらだからあんま聞いてないんだけど。
 日本語(一般に膠着語?)は単なる名詞と機能語を分離しやすいから《共起的な使用》というパースペクティブを持たれづらいという問題意識はよく分かる。本を読むときに使用している知識リソースは間違いなくそこだもんね(そうでなければ予測が不可能)。
 教授の雑談を聞き流したら講義終了。なんとも楽なお仕事です。


 昨日(05日)の夜、急にシナモロールが部屋にいてほしいという強烈な感情に支配されて調べていた。今年はシナモロール20周年なのでグッズがかなり手厚く、候補が色々あってうれしい。
 等身大シナモロールぬいぐるみはサイズがいい感じで本棚に起きたくなった。
 今月からシナモロール当りくじがコンビニ・サンリオショップで始まることをふと思い出したので大学のコンビニでシナモンのくじの入荷予定があるか質問する異常成人男性になった。ちなみに予定は無く、ただぼくが異常になっただけであった。
 どうしてぼくはシナモンくんになれないんだろう。