2022-07-08

ラクルな魔法少女になる杖は 新百合ヶ丘のKALDIにある
(上篠翔『エモーショナルきりん大全』)



 毎日モンエナで空腹を誤魔化し、バイトのあと深夜3時まで厭世して5時に起きて一限に出る生活をしていたら講義室に向かう途中で人と話しながらブッ倒れてしまった。睡眠不足と栄養失調だそうです。そりゃそうだ。
 みなさんちゃんとよく寝てよく食べてよく学びましょう。小学生レベルのことがまともにできん。でもこうやって適切なタイミングで変に頑張らずに壊れてくれるぼくの身体は優秀。


 昨日の余波で体調が優れなかったので今日のゼミはおやすみにした。
 最近はほぼ全ての時間を『重力と恩寵』か『カリ新大生』*1を読むのに使っているので日常リソースの配分が悪い。ひとところに熱中してしまうバランスの悪い性分なもので。
 今日は先輩から面白い話を聞いた。有限体$\mathbb{F}_q$(と同型な体)の乗法群$\mathbb{F}_q^{\times}=\mathbb{F}_q\setminus\{0\}$が有限巡回群になることの証明で、$G$を件の乗法群とすると$G$は有限Abel群なので、構造定理から
$$ G\cong \bigoplus_{i=1}^r \mathbb{Z}/a_i\mathbb{Z} $$
と書ける。いま$G$の元はすべて方程式$X^{a_r} - 1 =0$の根なので$|G|$は$a_r$で上から抑えられる。一方上の同型から
$$\prod_{i=1}^r a_i = |G| \leq a_r$$
となるので、$r=1$、$G\cong \mathbb{Z}/a\mathbb{Z}$と書け、巡回群となる。元を取ることなく進むので綺麗だと思いました。


 サンリオショップでシナモンくんのお薬手帳ケースが売ってたのですが、さすがにこれ使ったらクソキショメンヘラ異常成人男性だなあ……となりました(クソキショメンヘラ異常成人男性であることは別に間違ってないのですが……)あとあんまり病院に行かないというのもあります。最近親知らずが生えてきたので歯科にかかる予定はあるけど。ノートをデコるためのシールを買いました。
 バイトで二次方程式と二次関数を教えてました。教科書が二次方程式をやたらにパターン分けしてさも「それぞれに解き方がある」かのようにするのは統一原理を好む人間的には有害に映るのですが、教育的にはどうなんでしょうか。


 今日も今日とてヴェイユを読む。「われ(ジュ)」についての話なのだがよく分からない。つまりegoのことだと思うんだけど、egoを失った人間が犬猫のように他者の慈愛を受け入れるという現象は起きるのだろうか(ヴェイユの思う「〈われ〉を失う」という現象を掴みきれていない)。人間が捧げられるのは「〈われ〉と言う権利」だけらしいのだが、ヴェイユにおいて「神が人間に実存を与えるのは実存を通して神が神自身を愛すため」であることとパラレルだと思う。つまり神に与えられた実存を主張することのみが唯一われわれが所持していること、なのだと思うのだが。
 ヴェイユの〈われ〉はいわば「人が人として在る」という〈実存の感覚〉かもしれない。われわれはこの〈われ〉を「神に差し出す」ことによって「破壊しなければならない」のだが、一方でその破壊は「内的」に(信仰の実践として)行われなければならない。外的(ヴェイユの人生経験を踏まえれば工場の非人権的な肉体労働などか)要因によって〈われ〉を破壊されるのは信仰の形ではない。そのような外的破壊で、いわば〈われ〉を喪ってしまった人は「植物的〔ヴェイユのいう植物的とは、必要最低限の量を求めんとする態度〕な利己心」を持ち、「自身に注がれる愛になんの気兼ねも覚えない」ようになる(捧げる〈われ〉を喪ったのだから!) かなり見通しよく全ての記述が繋がったように思う。しかしこう読むとヴェイユの異常な敬虔が見えてくる。ヴェイユによれば、内的に(「神への愛ゆえに」)〈われ〉を失いながら、さらにそこに極限の不幸が降りかかることで「神の不在」という感覚が穿たれる。神の不在は「悪の完全性」をその人に理解させる。その人が今まで「地獄」だと感じていたものは「おのれの存在を声高に主張し、存在の幻想を与える虚無」だったのだ。この次元の地獄にあっては、地獄こそが存在を選ぶ理由になるという逆転現象が起きている。神の不在という感覚に穿たれた人は、地獄を超えた「悪の完全性」の中に神の現前を見るのだ。これが「死」を受容する感覚につながる。ここまで読んでやっと次の「脱—創造」へのつながりが分かった。ヴェイユは究極の不幸にこそ究極の信仰を見るガンギマリな敬虔なのですごい。

なぜなら神の不在とは、悪に呼応する神の現前の一様態——切実に感受された不在——だからだ。(心のなかに神をやどしたことのない者は、その不在を痛感することもない。)

ザ・キリスト教という感じの記述。



 ちくま新書から広瀬友紀『子どもに学ぶ言葉の認知科学』という本が7/7の新刊で出たそうです。著者の方が母校に来たときに講演を聞いたのですが、非常に面白かった記憶があります(当時は言語学にお熱だったのでいっぱい質問しました)。目次を見ると、ぼくが抱える問題意識と部分的に重なる部分もありそうなので、これは買いかな、と思いました。


 『カリ新大生』の誤植? ぽいところをまとめておきます。随時更新。

  • p.78 「もとの原子が別の元素」→「もとの元素が別の元素」
  • p.96の「Q:カルシウムイオン塩素と反応したときに作られるイオンは何か?」→ (1)「Q:カルシウム原子塩素原子と反応したときに作られるイオンは何か?」または(2)「Q:カルシウム原子塩素原子と反応したときに作られる化合物は何か?」

 これわかんなくて、直前の記述がこれ




なのでQもそれを踏まえていると考えると(1)がおそらく正しい改善です。一方Qの解答は



なので、この解答が成立するのは(2)です。解答が全然イオン形成の話してない。

*1:『カラー図解 アメリカ版 新・大学生物学の教科書』の略