2022-07-04

「そうさ、ばかなのさ。だからこそ連中は、労働こそ最高のものなりと信じ込まされているんだ。そうすれば自分の頭で考えずにすむし、社会を進歩させて、仕事をしなくていいようにする必要もないからね。」
ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』)

 書かないとずっと書かない気がしてきたので無理にでも日記を書きます。明日早いので短め。

 最近しきりに「社会人になると本を読む時間が無い」という話をされるので、やっぱ高等遊民がイイカナーと思わずにはいられない。学生時代もあと少しですが、貯めておきたいですね読書経験。
 紙のことについて無益な言霊を吐き出せるのはきっと贅沢なんでしょうね。人は次第に擦り切れてしまう。

 高校の知人と『トップガン マーヴェリック』を観てきました。トップガン無印を正当に進化させた素晴らしい映画だったので、ぜひ無印を予習してから行きましょう。多分前作を知らなくても楽しめるけど「予習が効いてくる」映画だというのがぼくと知人の共通見解でした。ネタバレしたくないのでこれ以上は書きません。
 ぼくは高校の知人というと京都に行ってしまったKくんかこの知人Yさんくらいしか今でも連絡を取っている人がいないのですが、ぼくと映画に行くことを話すと、高校のとき非常にお世話になった先生や高校のときに関わった人がぼくが元気かどうかしきりに気にするようになった、と言われたので、高校のときのぼくをできるだけ透明な水槽に入れたままにしておいてください、という気持ちになりました。大抵においてぼくは帰巣本能が薄く、一度離れたコミュニティに戻る気が起きない社会不適合者なので、きっとこれらの人達ともう一度会うことはないのですが。
 ぼくが個人的に気に入っていた人達もICUで元気にしているそうなので、よかったです。
 映画を観る前に『重力と恩寵』を買ったりしました。あと映画観る前に時間があったので劇場の屋上で初めてバッティングセンターというやつをやりました。彼女もぼくもあまり打てなかったです。そのあとは彼女のサンダルを買うのに付き合ったりブラブラしてました。

 関係性に名詞をつけることというのがぼくはとても恐ろしく、起源は小学二年生のとき、ふと他人との関係性に「友達」と言うことが暴力的に感じられて、それ以来強迫的なまでにこの言葉が怖くなりました。これがぼくの中二病の始まりで、大学生になってもこの自意識を引き摺っています。いい加減気持ち悪いのですが。
 ぼくは根がクソメンヘラで、独占欲も強いということに最近気付かされましたが、関係の名詞化を嫌うのは表裏一体かもしれないです。
 でも「根本がクソメンヘラのくせに理性でどうこうするから余計面倒になってる」は事実陳列罪で訴えても良くないですか?