八月十日

 なんとなんと五日目です。 マジ? すごい。わたしはえらいなあ。そろそろ日記を書いてえらいで賞が内閣総理大臣から貰えないだろうか。紫綬褒章くらい期待しておく。

 今日は外出がなかったので本格的に日記らしい内容というものがない。内容がないのはいつも通り。いつも通りをなぞれるというのは大事なことだ。内容がないよう(>_<)。
 パスカルは部屋でじっとしていられないのが人間の不幸で愚かな点だと言ったが、なるほどたしかに部屋にずっといるというのは、例えば受験勉強という現状での至上命題や読んでない哲学書や小説があったとしても難しく、少しは外に出た方が篭っているより能率が高まる気がする。ましてじっとしている難しさはお察しである。集中力がないだけかもしれない。

 お昼にサイダーを飲んだ。何かとその発泡の様子や味わいや透明感が夏と紐付けられがちなサイダーであるが、サイダー的にはどうなのだろう。べ、別に夏なんて興味ないしと強がるのかそれとも満更でもなさそうなのか。暑さで恋愛脳があらぬ方向に捻れている。

 わたしは物理的に目が濁っている(飛蚊症のようなものだと思えばいい)ので、物を見ると一枚のスクリーンを通していることを実感する。それと共に、わたしの見ている現実の確かさというものが存外不安定で、足もとがぐらつくような気持ちになる。人と一緒にいるというのは、少なくともその人とは世界が共有できるということで、現実の認識が多少磐石になる。この関係を人は求めるんじゃないかと思った。

 いつもの半分くらいで筆が止まった。
 ピーンチ。

 『会議でスマートに見せる100の方法』(サラ・クーパー、早川書房)を読んだ。めちゃくちゃ笑いながら読んでしまった。それなりのあるあるから絶対ねえよまで幅が広い。

 そういえば小学校の夏休みの宿題に一行日記と絵日記が課されていて、これがひどく苦手だったことを思い出しました。今でこそ日記を書いてるが、わたしは何かを言葉で表現するのがとても苦手だった。これは今も変わらないな。まあより酷かったわけだ。なのでその手の宿題だけは最終日ギリギリに思い出したように埋めていた。毎日が同じ日の繰り返しのように思えていたんだし、そう間違った日記じゃなかったと思う。

 ああこの日記の中で語尾は一切統一してません。すまんなそういうの気になっちゃう人。枝葉末節に拘らないおおらかな人格なんですよ。面倒くさがりと呼ばれたりもする。 でもまあ人類の発展なんてともすれば自分の面倒を解消することから来ている面もあるわけで、実はイノベーションの可能性を秘めた有料物件かもしれない。お金持ちのお姉さん待ってます。

 わーいお得意の下らないことをつらつら戦法で文字数埋めてやったぜ。特にルールは決めてない(またおおらかさが出てしまった……)けどなんとなく1000超えたら丁度良くて1500は長いかなくらいに思ってます。

 なんだかんだ夏休みが折り返しくらいでびっくり。学校に行って本を読むか家で本を読むかくらいの違いしかなさそうだけど、やっぱり夏休みという語感にある開放感は楽しい。学生のうちに満喫しなければ。

 なんか丁度いいな、終わり。おやすみなさい。