八月九日

 勉強をしていると無意識に眉毛を抜いていることに気付いた。無意識を意識したわけだ、特に意味は無い。反対だけ抜くのはバランスが悪いからと抜く手を左から右に変えたのだが、それでは根本的な解決になっておらず、抜くのをやめるべきであった。ところで抜いても鏡に映るキモオタフェイスは全くもって変わらずだった。そんなものである。

 日記の投稿が日付を跨ぐとなんとなく嫌なのでいそいそと書いています。そういう風に書くものなのか日記って。何かを間違えている気がする。

 そうそうこれで三日坊主突破です。
 ィェーィ。
 いやかといって毎日連続で書く必要はなかったかもしれない。

 スマートフォンの普及によって現代人の知能が低下しているのかどうかは分からない。昔の文豪には博覧強記な人間が多いと思うが、そういうのは今の時代にだっているのだろう、まあこの辺はわたしが今日抜いた眉毛の本数並にどうでもいい。読書好き、或いは活字中毒のわたしとしては、日常生活のうちに携帯の充電場所なんかより気軽に本が読める場所が欲しい。今の時代、路上に座り込んで本を読むことは叶わないし、かといって静かに座っていられる場所もそんなにない。どこもかしこも人類に埋められている、最密充填である。そんなことを思いながら町を歩いていた。前方不注意。

 イヤフォンをなくしたままなので、歩きながら外界を遮断する術を持っていない。完全に俗世と離れるのも仙人じゃないので嫌だが、さすがに外は情報量が多いので歩くだけで疲れてしまう。普段から外に出なさすぎなのが良くない。

 岩波文庫から出ている『更級日記』を読みたくなった。短めの古典を読み通すことをしたい。昔その手の古典を同じように読んだ気がするのだが、何を読んだかは忘れてしまった。当時のわたしはそんなに楽しめなかったのだろう。

 人の好みは歳をとると変わるものだと言われて、実際わたしも部分的には賛成なのだけど、やはり根本の部分では人それぞれの価値観(美意識と言ってもいい)の軸があると思う。例えば、"昔は○○だったが今は〜"というのは、価値観が変わったというよりは良さを見出す目が肥えたという方が近しいような気がする。
 これはどちらかというとわたしが昔からそういう自分なりの矜恃や美意識、この言葉が強ければ拘りでもいいけど、とにかくそういったもののない人間が苦手ということとも関わりがあるのだろう。 この姿勢、まさに他人に厳しく自分に甘くといった感じで笑ってしまう。

 いつの間にやら1000文字、なんだか文章を書く能力よりダラダラと字を埋める能力ばかり伸びている気がする。もう少し練って面白おかしい奇想天外爆笑文章を書きたい、いやそんなことはこれっぽっちも思ってないが、流石にもう少しウイットの濃縮還元ジュースな文章を書きたいものである。知性が足りない。

 まあこんな所で今日の日記おーわり。お高いウィスキーを水割りで飲むくらい薄めの毎日を頑張って引き伸ばして文章にしているので大変大変。ところで日記らしく今日あったことを書いたのが最初の眉毛のくだりだけなのはさすがに日記と言い張るのが難しい気がしてきたが、それこそ『紫式部日記』のようなものだと流してください。おやすみ。