一月二十八日

 何かした気もするし特に何もしなかった気がする。成果はどこにもなくツイッターの投稿ばかり増えているのだからきっとツイッターはしていたのだ。受験勉強を諦めて他人事のように接すれば人生が豊かになることを最近知ったけれどライフハック大全に掲載されるべきだろう。最近の大学進学率は著しい上昇を続けているのだから需要にもピッタリだ。斜陽産業となった出版業界に経済学の光明が差し込むだろう。どこかの本で「需要と供給」と唱えておけば経済学者あるいは経済学者の言葉を反芻する鸚鵡になれる(大意)といった旨の話を読んた気がする。閑話休題。ところで今や大学全入時代、大大学時代だ。少子高齢化の現代においては犬畜生や猫様まで大学に入るようになるだろう。猫が隣にいる授業めちゃめちゃ良くないですか? きっと撫でてしまう。全額共通教養科目で偉そうな先生百姓に大学の教授などという一般教養がない人間じゃなきゃ選ばない職業を棚に上げて教養を説かれる時間も猫といれば幸せだ。右から左に哲学史を受け流しながら猫の毛並みに掌を添えればきっとソクラテスも満面の笑みだ。本当か? ところでショーペンハウアーは著書の中で度々動物愛護精神を唱えている。犬大好きで若干ウケてしまう。動物は大事にしよう。そう思うと哲学史の時間に勝手に撫でられる猫は果たして幸せなのだろうかという疑問が頭をよぎる。猫の気持ちなんてものは分からず、なんとなく猫の行動を我々が解釈しているに過ぎない。まあそんなの人間のコミュニケーションと同じなのだが。勝手な解釈と断って言うなら、猫の素晴らしいところは自分が自分であるという事実を全身で喜び称揚しているところだと思う。何か欠けた気がするという無根拠な喪失感を猫は抱えていないように思う。まあいいや。大学入試に精神を破壊されるとこういう文章を書き始めてしまう。これは新テストに出ます。嘘ですが。大学入試、というか大体の自分に降りかかってくることを他人事のように感じてしまう癖は何かと深刻で、人間誰でも対岸の火事なら落ち着けるのだが、実はそれが錯覚で家事は此岸で起きていたなんてことになりがちである。一般にわたしには現実性から離れたもの、これは幽霊などが好きという話ではなく、確かなリアリティをそこに持ちながら現実性を感じさせないそういうものが好きなのだが、そういうのは創作に閉じ込めるべきだ。そんなこんなで千文字。おやすみ。